ヨーク滞在日記

夫の留学に付き添って渡英。日常&旅を記録します。

ポーランド旅行②~アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所編~

ポーランド旅行第2弾。

クラクフからバスでアウシュヴィッツに行って来ました。

 

映画「戦場のピアニスト」を小学生か中学生くらいの時に見て虐殺が日常的に・平然と行われている様に衝撃を受け、その後も大学の授業で反ナチ運動「白いバラ」のメンバーであるゾフィー・ショルの映画を見たり、フランクルの「夜と霧」を読んだり・・という機会がありました。

そのため、実のところ行くのが怖くはあったのですが、今後ポーランドに行くことがあるか分からないし、今回行ってみるべきだとの結論に至りました。

 

クラクフ中央駅のバスターミナルからアウシュヴィッツ(現地語でオシフィエンチム)行き直行バスが出ています。(所要時間は約2時間)

片道15ズロチくらい(=約400円)とお安いです。

色々な方のブログを参考にLajkonik(ライコニック)という会社のバスを使って行きました。アウシュヴィッツが終点なのでバスの中で眠っても大丈夫です。

指定席ではないので座れるか心配でしたが、そこまで混雑していなかったので問題ありませんでした。

 

入場時間までお昼ご飯を食べながら待つことにしました。

Restauracja Art-Deco

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博物館のすぐ目の前にあるレストランです。

お店に入った後に調べたところ、グーグルでの評価が☆3.1で、口コミもひどかったので不安になりましたが、サービスも問題ないし全然美味しかったです。

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↑ポーランド郷土料理のビゴス。ザワークラウトとお肉の煮込みです。美味しいです。

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↑ザワークラウトのピエロギ。(ザワークラウトかぶり)酸味がちょうどいいです。

 

時間になったので博物館に向かいます。本当はオプショナルツアーなどで日本人ガイドをお願いしたかったのですが、時間の関係で断念。英語ガイドです。

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↑バス停から博物館までの道。ベンチで休憩したり芝生に寝転んでのんびりしている人もいました。

 

チケットを見せると荷物検査があります。(空港みたいな)

イヤホンを受け取り、ガイドさんが来るまでここで待ちました。

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↑樹が茂っていてのどかな雰囲気です。怖い感じはありませんでした。

ツアー参加者は全部で30人ほどでした。1度集団からはぐれてしまうと戻れなくなりそうだったので、他の参加者を覚えておいた方が良いです。

 

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↑有名な「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」の文字。実際はそんなことありませんでした。収容所に連れてこられた人たちは2手に分けられました。1つは健康で働けそうな人・もう1つは女性や子供・老人など。後者はガス室に送られました。

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↑鉄条網が張り巡らされています。あまりにも過酷な環境に耐えられず自ら電流が流れる鉄条網に身を投げる人もいたそうです。

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↑建物の中が展示室になっています。

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↑ガス室の模型。

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↑ガス室で使われたガス缶。チクロンBという殺虫剤です。

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↑没収された義足や杖など。

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↑こちらは靴です。凄まじい数。

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↑ここで銃殺が行われました。ここに立った人の恐怖は計り知れません。

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↑真ん中に少し見えているのが収容所所長だったルドルフ・ヘスの家。家庭では優しい父親だったそうです。

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↑ガス室に入ります。

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↑ガス室内。想像していたよりも広い部屋でした。シャワーを浴びると言って連れていかれたそうです。前述のチクロンBが使用され、人々は20分程で息絶えたそうです。

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↑死体は髪の毛や金歯などを抜かれた上で、この焼却炉で焼かれました。死体を運ぶのも収容された人々が行っていました。

 

写真を撮っていませんが、人体実験の犠牲となった少女たちの写真が痛々しいものでした。思い出すだけで心が締め付けられます。

 

アウシュヴィッツを見終わったらシャトルバスでビルケナウに向かいます。

公式のガイドはここで終わりだったのですが、ガイドさんが「もしビルケナウのガイドも聞きたければ20分後のバスに乗って来て。ビルケナウの前で待ってるから。」と言っていたのでガイドしてもらうことにしました。

たぶんここで離脱した人はいなかったんじゃないかな。

 

ビルケナウ収容所

アウシュヴィッツは博物館に整備されていますが、こちらは当時の光景がほぼそのまま残っています。

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↑有名な光景。

収容者が増えてアウシュヴィッツでは収容しきれなかったためこちらが建てられたとのこと。

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↑実際に当時ここで人の仕分けが行われてたのかと考えると恐ろしいです。

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↑あまりにも広い。

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ガス室送りにされる女性たちが収容されていたバラックの中を見学することができます。

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↑中は真っ暗で足元もガタガタです。湿気がありつつもひんやりした空気でした。

粗末な造りな上に水道も整備されておらず、病気が蔓延しました。トイレに行く回数も制限されていたそうです。

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ビルケナウから再びシャトルバスに乗ってアウシュヴィッツまで戻り、往路と同じライコニックバスでクラクフまで帰りました。(クラクフ行のバスはアウシュヴィッツ~ビルケナウ移動用シャトルバス乗り場と同じ場所。)

 

この記事を書いていてまた気持ちが沈みました。

本当に本当に、あってはならない悲しい歴史です。

しかし、現在に至るまで世界中のあちこちで内戦や迫害が起こり続けていることを考えると人類が存在する限り残酷な行いがなくなることはないのだろうかとも思ってしまいます。

このような出来事を経験していない私たちができるのは当時の状況を知ることだなと痛感しました。(「夜と霧」を読み直そうと思いました。)

 

ポーランドを訪れた際は、是非とも足を伸ばして頂きたいです。